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インサイトの軌跡とDNA——半世紀の歩みから見据える、これからの未来

インサイトの軌跡とDNA――半世紀の歩みから見据える、これからの未来

1975年の創業以来、時代の変遷とともに自らを進化させ、北海道の地で独自のポジションを築いてきた株式会社インサイト。デザイン事務所としての原点から、上場企業への飛躍、そして「第二創業期」を迎えた現在に至るまで、同社を支え続けてきた根底の精神とはどのようなものか。1990年の代表就任から30年以上にわたり経営の舵取りを担ってきた浅井会長のインタビューをもとに、激変する市場の中で貫いてきた経営哲学と、次世代へ託すDNAの真髄を紐解きます。

常に先手を打ち、自らを変革させていく原動力

インサイトは創業から約50年という大きな節目を迎えました。ここまで歩みを続けてきた歴史の底流にある、独自の精神とは何でしょうか。

一言で振り返るなら、経営の原動力は良い意味での「不安」だったと感じています。「明日、世の中はどう変わるか分からない」「今のビジネスモデルのままで、本当にお客さまの期待に応え続けられるだろうか」という未来への危機感ですね。

もし現状に満足して守りに入っていたら、この激しい時代の変化の中で、会社は立ち行かなくなっていたでしょう。不安があるからこそ、先手を打って深く考え抜き、新しい可能性に挑み続ける。この「変化を恐れないチャレンジ精神」こそが、インサイトが立ち止まらずに歩みを進めてこれた最大の理由であり、底流にある独自のDNAだと実感しています。

「デザイン」から「マーケティングパートナー」への転換

1980年に入社された当時、会社はどのようなものだったのでしょうか。

私が入社した当時は「大利広告企画」という名前で、印刷会社のデザイン業務を中心とする、20-30人規模のデザイン事務所でした。文字を切り貼りする写植の時代だったので、現在とは異なるアナログな職人の世界。その中で営業として仕事を始めていきました。

当時の強烈な記憶として残っているのが、クライアントのハウスエージェンシープランナーの方からいただいた厳しいご指導。まだ未熟であった私と向き合い、仕事に対する責任感とは何たるかを徹底的に叩き込んでくださったのです。あの経験があったからこそ、単に言われたものを作る下請け体質から脱却し、お客さまに伴走する「真のマーケティングパートナー」にならなければと覚悟が決まりました。

強固な土台を築いた「仕組み化」と「素直さ」の追求

1990年に31歳の若さで突然代表に就任され、直後にバブル崩壊。当時はどのようなことを考えていたのでしょうか。

父である先代社長の急逝による突然の就任に加え、市場が大きく冷え込むタフな環境からのスタートでした。社内外の方々に教えを請いながら、必死に会社経営の舵取りを覚える日々でしたね。
就任時の翌年からバブルが崩壊し、3年間で売上が3-4割も激減しました。この時期の最大の苦労は資金繰りで銀行との交渉に苦慮しました。

その苦しい状況から、どのように次への道を拓いていったのでしょうか。

1995年頃、会社の軸となる共通のルールを作るべきだと考え、ISO認証を取得。それまでは個人の裁量に依存する面が大きく、受注した仕事をどのように進めていくかというフローも定まっていませんでした。
クリエイティブな仕事に誇りを持つ社員からは反発もありましたが、それまでのやり方を変える大きなきっかけの一つだったと思います。

この変革を経て、組織として同じ方向を向き、チームワークを大切にできる強固な土台が整っていきました。その時に社内に残ってくれた、あるいは新しく加わってくれた「真面目で素直・正直な人材」こそが、現在のインサイトの社風と、成長を目指し続ける組織のベースになっています。

「社会的信用」の獲得と、危機をチャンスに変える決断力

その後は2006年に社名を「インサイト」へと変更。2008年には上場(札幌証券取引所アンビシャス市場)を果たしていますね。

上場を目指し始めたのは2004年頃のこと。参加したセミナーで他社の上場事例を耳にし、「うちでも挑戦できるのではないか」と考えたのです。そこからさらなる土台の強化と発展を見据えて、2006年に社名を「インサイト」へと変更しました。

当時はまだ歴史の浅い広告会社でしたから、独自性を打ち出したかった。お客さまのビジネスや社会の奥にある本質(インサイト)を理解し、真のマーケティングを行っていこうという強い決意を込め、現在の名称に。このリブランディングを経て、2008年の上場達成へと繋がっていきました。

上場してからは、順風満帆に成長が続いたのでしょうか。

それなら良かったのですが、上場を達成して「これからだ」というタイミングで、間も無く起きたのがリーマンショック。出鼻を大きく挫かれました。

しかしここで歩みを止めるのではなく、上場前から進めていた新たな施策に取り組み続けました。2008年に独自のマーケティングシステムである「インサーチ」を開始。2009年には子育てママ向けのフリーペーパーの発行や「札幌広告.com」も立ち上げました。

また、上場を経て社会的な信用が高まったことも追い風になりました。ナショナルクライアントとの直接取引が拡大していくなど、チャレンジしやすい環境がありました。

続けてきた挑戦と、次世代へのバトンタッチ

上場後も広告にとどまらず、さまざまな事業を展開してきたそうですね。

既存の広告業だけに依存せず、新たな収益の柱を作るための挑戦を続けてきました。その一つが「ふるさと納税事業」への参入です。クライアントの伴走で培ってきた知識や経験が、地方創生という新たな主要事業へと結実しました。

また、広告業の不安定さを補うビジネスとして「介護事業」にも参入しました。大きな成功につながる場合もそうでない場合もありますが、一貫しているのはその時社会に求められている取り組みを、スピード感を持って進めていくということ。様々なチャレンジを繰り返した結果、今の会社の形があると考えています。

そうした絶え間ない変革を経て、2024年に代表権を譲られました。この事業承継の決断についてお聞かせください。

予てから「経営を次世代に継ぐのは65歳まで」という自身のロードマップがありました。冷静な判断力と体力を保ちながら、数年かけて継承していく道筋を考えると、それくらいがリミットだろうと。
そこに、東京の広告代理店で経験を積んだ現社長が、札幌に戻るという話が重なりました。元々彼に引き継ぐと決めていた訳ではないのですが、意欲なども耳にしながら、会社を託そうと決めたのです。

社内でも最初のうちは、その判断に半信半疑だったかも知れません。しかし大型の案件を獲得したり、戦略を指揮したりする姿を示す中で、すぐに社内の信頼を獲得していったと感じています。

次の50年を動かす、少数精鋭のスペシャリスト集団へ

本則市場への上場も達成し、次の50年に向けて走り出したインサイトですが、今後はどのような企業像を目指し、社会に価値を提供していくのでしょうか。

正直に言えば、「100年目のインサイト」の姿は私にも想像がついていません。まず、目の前の目標として考えているのは、社員の待遇改善。そのためには、単に規模の大きさを追い求めるのではなく、高い専門性を結集させた「少数精鋭のスペシャリスト集団」にならなければなりません。

これまでインサイトは「広告会社らしくない」と言われ続けてきましたが、それこそが当社の武器だと考えています。突き詰めると広告の仕事の本質は、「アイデアを使って世の中を良くすること」。自分たちの視点を生かせばもっと改善できるのでは、と思うことがあれば、これからも積極的にチャレンジを続けていきます。

社会は変化を続けていますし、広告会社という概念も変わり続けるでしょう。それをマイナスと捉えるのではなく、前向きなマインドで先手を打ち続けたい。次の未来へ挑戦するインサイトに、ぜひ今後もご期待ください。